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小川洋子.『博士の愛した数式』

2008.07.16 Wednesday | *OTHERS > MEMO

 ゆっくり読み進めようと思っていたのですが、なんかあっという間に読み終えてしまいました。うーん読書って始めるとたったか進むもんなんだなあとようやく思い出しましたよ…

博士の愛した数式 (新潮文庫)


 博士の愛した数式。映画化もしたのでタイトルは知っていたし、とりあえず記憶云々は知っていたのですがそれ以外はさっぱり。ほとんど知識ゼロで読みました。
 …映画を観ていないから断言はできないのですが、これは本から入った方がいいんじゃないかなあ…とか。視覚化されてしまうと、ものによっては十人十色が許容されるはずのイメージがたった1つの確固たるものとして提示されてしまうので。視覚化されるからこそ出る味わいというものはもちろんあるのですが、これはちょっと失われてしまう楽しみが多いような…まあ、まずは映画を観てからものを言えという感じなので、「ちょっとそう思った」程度です。

 交通事故の後遺症により、以降、80分しか記憶を留めておくことができなくなってしまった”博士”。家政婦として博士と出会った「私」は、博士にとっては常に「新しい家政婦さん」でしかない。そしてそんな博士は毎日、挨拶の代りに「私」に誕生日などのささやかな数字を訊ねる。博士にとって、数字は言葉のようなものであったのだ。そんな博士に、初めは戸惑いを感じていた「私」だったが…


 みたいな感じ。うーん抄録とか書ける人ってすごいなあ。無理。
 ネタばれというほどでもないけれど、できれば展開を知らずに読んだ方が楽しめると思うので、ワンクッション。

 まず、なんで「映画よりも…」と思ったかといえば、博士が朝目覚めて、スーツに所狭しと留められた小さなメモたちの、その中でも特に重要なもの、「ぼくの記憶は80分しかもたない」という言葉に静かに涙をこぼすシーンが、どう映像化されているかが不安だったからです。たぶん思わず涙してしまうシーンになっているのではないかと推測するのですが、作者である小川さんの、その言葉の雰囲気を感じながら思い浮かべることができたのが個人的に良かったので。
 原作者だから当然といえば当然なのですが、変に誇張せず、静かに、淡々としているとも思えるような筆致で綴られるこの部分がやけに印象に残って、その時の博士の絶望という言葉では足りないほどの悲しみに衝撃のようなものすら感じてしまったからです。
 80分以上前のことを覚えていない、分からない。ただそれだけなら、辛いのはむしろ周囲の人だと思います。しかし、博士はそのこと自体を忘れないように、メモという形で記憶し続けようとする。だから毎朝、メモを見てその悲しい現実と向き合って…それって大切なことなんだろうけど、できないよなあ、としんみりしてしまいます。
 目覚めてその事実を知らされる博士の思いを考えると、それだけで胸いっぱいお腹いっぱいです。勝手に想像しまくりです。
 これは文章ならではだと思います。でもたぶん映画は映画でいいんだろうなあ。あとで借りてこようそうしよう。

 博士と「私」のこともそうなのですが、私が好きなのはルート(「私」の息子)と博士のやりとりです。もっと言ってしまえば、わずか10歳にして、と感心してしまうほどのルートの優しさが分かる部分が好きです。江夏のあたりなんかもう、ルートの言葉ひとつひとつに、博士を混乱させまいとする、だけどそれを博士自身には気取られないように気をつけてる、そんなさりげない優しさが感じられます。これをどう映画で表現したのかと思うと…!(もういいよ
 こんな感じで時折、「私」がはっとしてしまうほどの強さを見せるルート。もちろん「私」がいたからこそ、とは思うのですが、彼がいたおかげで、博士は幸せな時間を過ごすことができたのでは…と思っています。そして、ルートもまた、少年というあの貴重な時期に博士と時間を共有することができたのは、幸せだったのではないかと思います。
 いいなあ、とかちょっと思ったり。

「小川洋子.『博士の愛した数式』」の評価です。

author : nora | comments (0) | trackbacks (0)

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